50歳で台湾女性と国際結婚そしてハーフ娘育児の日記

 はじめまして。51歳になるサラリーマンですが、今年の4月に婚姻届を 出して台湾女性と国際結婚しました。8月女の子も生まれ新しい家庭の スタートです。  奥さんはほとんど日本語が話せませんが、いきなり日本での生活と育児 これからどんな展開になるか楽しみです。

初節句

 

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○ひな祭り

娘の始めて迎える初節句のひな祭り。

私は男ばかりの兄弟だったので全くひな祭りに縁はなかった。人形置いて、雛あられ食べてなんてイベントには無縁だったこと、台湾には日本と風習が似ているものの何故か、ひな祭りに

相当するイベントはないらしい。

最近ではクリスマスやバレンタインがあるのに何故か台湾にひな祭りは無いのである。

端午の節句はあるのに不可思議なものである。

(ひな祭り)

雛祭り(ひなまつり)は、日本において、女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事。

ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)に桜や橘、桃の花など木々の飾り、雛あられや菱餅などを供え、白酒やちらし寿司などの飲食を楽しむ節句祭りである。

「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数ある。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていたとする記録がある。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためである。一方、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。

江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。3月の節句の祓に雛祭りを行うようになったのは、安土桃山時代天正年間以降のことだと推測されている。

江戸時代初期には形代の名残を残す立った形の「立雛」や、座った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。しかし、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財の一つに数えられるようにもなった。そのため、自然と華美で贅沢なものになっていった。

ウィキペディアより

とのことで、ひな祭りはどうも日本固有の文化らしい。

台湾には無く、私も縁がなかったことから、別にやらなくてもいいかなと思っていた。

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○日本女子の思い

そんな感じでいたところ、母親と叔母から待ったがかかった。

私には日本の大事な風習を教える義務があるとか、もしひな祭りをやらないで娘に何かあったら後悔するとか、女を大事にしない男の悪いとこだとか色々責められた。

という事で置く場所も無いこともあり、小さな雛人形を買い、三月三日には綺麗なちらし寿司などを買い祝う事にした。

これを機に色々ひな祭りについて調べてみたが日本の長い歴史の中でいろんな人がそれぞれの想いがあって出来た美しい風習なんだなぁと思わされた。

○初節句おめでとう

という訳で娘には「ごめんなさい」という感じで、雛人形を見る娘を見ると、やっぱり女の子なんだなという気がして、小さいけれど雛人形を買ってあげてよかったと思う次第です。

ひな祭りの人形のような良い婿をもらってね。

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